「マラッカ」観光のこと

  • 作戦

 昨日、申し込んだオプショナル・ツアーである。
今日行くか、明日か、悩んだ。
ガイドの「SAM」さんはどっちでもOKという。
時間的には9:00〜17:00っくらいの目安だそうだ。
いろいろ作戦を練らなきゃいかんざき・・・。
 「マラッカ」は「クアラルンプール」の南方。
クルマでざっと150kmの距離である。
途中に「クアラルンプール国際空港」がある。
帰りのフライトは22:50。
ホテルピックアップは19:20だという。
げっ!
3時間半前かよ〜っ。
 最終日に「マラッカ」に行くとどうなるか・・・?
一旦ホテルに戻って、ちょっと休んでから空港にトンボ返り・・・。
又は、空港で降ろしてもらって、フライトまで待つ・・・。
これだときっと16:00っ頃から7時間も待つ事になるべや。
じょーだんじゃないべ。
ってんで、結局今日行く事にした。

  • ねじ込み

 又、ワンボックスが迎えに来た。
今日は同行者が4人いた。
「おはようございま〜す!」
一番後ろの座席に乗り込んだ。
 後ろから暫く4人衆を観察してた。
どうも70歳っくらいの老夫婦と、娘夫婦って雰囲気である。
老夫婦はめっちゃ元気がいい。
娘らしき女性もアクティブに見える。
若ダンナらしき男性は生体反応が薄い・・・。
マスオさんか・・・?
 本来なら、家族4人水入らずだったのかも・・・。
前日になってヘンな夫婦がねじ込まれた。
当人たちは、そんなこと知る由もないけど・・・。
そりゃ、お気の毒だったわね。
ま、長い人生、いろいろあら〜ね。

  • 資源国

 今日のガイドは「シェリー」さん。
これもきっと芸名だんべな。
やはり中華系らしき、中年のおばはんである。
多分、旅行社そのものが中華系なんだべな・・・。
 日本語はお世辞にも上手くなかった。
集中して聞いてないと、何を言ったのかわかんない。
前後の話から類推した内容も結構あった。
外国語を聞いてるような緊張感が必要である。
 「シェリー」さんも、いろいろ日常の話をしてくれた。
これが面白いんだべさ。
結構、マレーシア人はお国を誇りに思ってるみたい。
昨日の「SAM」さんもそうだった。
まずは豊かな資源がある。
「石油」「スズ」「ゴム」「パーム油」「チーク材」・・・。
 確かに、これらは高速道路沿いに全部あった。
「スズ」の露天掘り採掘場。
「ゴム」の林。
「チーク」の並木。
「パームヤシ」は・・・フツーにどこにでもある。

  • 「マラッカ」

 ってえのは元々、樹木の名前だそうだ。
この地方に自生してた「ネムノキ」によく似た樹木である。
この樹木の名前がそのまま街の名前になった。
何とも安直である。
 「シェリー」さんの声が響く。
「ほら、トッタンが見えてきました!」
”トッタン・・・?”
まだ、どこにも海は見当たらない。
「この辺りの家は『マラッカハウス』と呼ばれま〜す」
”???”
「み〜んな、トッタン屋根ですね〜」
”てんめえ〜・・・。”

  • 「ババ・ニョニャ」

 「マラッカ」はマレーシア発祥の地と言われる。
14世紀に「スマトラ王」に発見された。
以来、中国・明を後ろ盾に貿易拠点として繁栄した。
これが「マラッカ王国」だった。
 当時からこの辺りの制海権はアラブ人が握っていた。
イズラム教もここから広まったらしい。
明の「永楽帝」は62隻の船を派遣したそうな。
男ばっかし、2万8千人も押し寄せた。
 この中国男性の一部が移り住み、現地女性と結婚した。
独特の風貌はこの時に出来上がったそうだ。
男は「ババ」、女は「ニョニャ」と呼ばれる。
ここんち独特の料理が「ニョニャ料理」である。
 16世紀以降、ポルトガル・オランダ・イギリスに占領される。
それぞれ支配された時代の建物が残っている。
その後、シンガポールにアジアの主役を奪われた。
時代に取り残された故に、貴重な建物が残ったらしい。
 いいっ!
何だか、とってもいいっ!
静かで、まったりとした雰囲気がいいっ!
何とも落ち着いたエキゾチックなムードが漂ってる・・・。

 1753年の建造だそうだ。
オランダ様式の教会で、今でも現役である。
「マラッカ」のシンボル的存在らしい。
祭壇に「最後の晩餐」のタイル画がかかっている。
見るからに古い。
 床の石材も磨り減ってハクがある。
中央の床下が聖人の墓地になってるそうだ。
説教台やベンチなども当時のままだという。
黒光りした説教台は時代を感じさせる。
 4人連れのじ〜さんが帽子を被ったまま入ってく。
嫁さんが何か言いかけた。
”ちっちきち〜っ。”
慌てて制した。
もうちょっとヒトとなりがわかるまで、触れない方がいい・・・。
ガイドの「シェリー」さんが気づいた。
「男性はキョカイではボウシとてください」
さては、せっかくトラピコが作ったチラシを読んでないな・・・。

  • 「スタダイス」

 教会の前は「オランダ広場」になってる。
広場の中央には噴水があり、小振りな時計台が建つ。
この広場を望むように「スタダイス」が建つ。
 この建物は1650年の建造。
当時のオランダ人総督らの公邸だったそうだ。
今は歴史博物館と民族博物館になってる。
よくこんなにちゃんと保存されたモンだと思う。
この一角は一番「マラッカ」らしい景色かも・・・。
 「この時計台は日本軍の象徴ね」
「ん?」
「昔、日本人、悪い事した。ここに首を並べたね」
「・・・」
「シェリー」さんがサラッと説明した。
 やっぱ、出て来たか・・・。
戦時中に日本軍がマレー半島を占領したのは事実。
その時に品行方正だったとは思えない。
犠牲者の慰霊碑とか、戦勝記念碑とかがあってもおかしかない。
ここではヒトビトのココロに残したらしい・・・。
 「シェリー」さんが続けた。
「でも、今はこの時計も日本のセイコーね・・・」

 小高い丘の上に建つ教会の廃墟である。
散策路を登って行くと、眺めもいい。
マラッカ海峡」が一望出来る。
タンカーや貨物船も見える。
空気の澄んだ日には「ジャワ島」も見えるそうだ。
 1521年にポルトガル人が建造。
当時は、この丘全体が砦になってたらしい。
その後、オランダ人の埋葬所になった。
フランシスコ・ザビエル」も一時安置されたという。
 廃墟の前に「ザビエル」の大理石像が立っている。
何故か、その右手首が折れて無くなっている。
「どうしたの?」
「嵐で飛ばされました」
「ふ〜ん」
「でも、ホントは『ザビエル』は右手が無かったそうです」
「えっ?それで、像も右手を無くしたとか・・・」
「いえ、嵐で飛ばされました」
よくわかんない・・・。
 今は教会の壁だけが残っている。
石材は鉄鉱石の原石だそうだ。
全体が真っ赤に錆びている。
これが又、何とも独特の雰囲気を醸し出してる。

  • 「サンチャゴ砦」

 1511年の建造だそうだ。
当時のポルトガル人がオランダ人の攻撃から守る為に造った。
今では、砦の城門と大砲が残ってるだけ・・・。
城門の後ろがセントポール教会の丘になってる。
 どっちも廃墟だけど、絵的にはイケてる。
城門に施されたレリーフもなかなかいいっ!
何枚も写真を撮ってきた。
なかなか絵になる景色である。
こんなに一生懸命砦を造ったのに・・・。
結局は守れなかったんだよなあ・・・。
 どうでもいいけど、ここの暑さはハンパじゃない。
そう言えば、クルマを降りる時に「シェリー」さんに訊かれた。
「クルマにカサがあるけど、要らない?」
その時は、言ってる意味がわかんなかった。
どう見ても快晴である。
「クアラルンプール」のもやった空とは全然違う。
”スコールでもあるんだべか・・・?”
っくらいに思ってた。
射るような日ざしって、こういうのを言うんだべな・・・。

  • 土産物屋

 「シェリー」さん、巧い。
「暑いから、ちょと涼みに行きましょう」
「ひぇ〜い!助かる〜っ!」
「冷房も効いてるし、飲み物も飲み放題、トイレもあるね」
それが土産物屋である。
 随分、いろんなモンがあった。
菓子から、バティックから、何でもある。
しかも都会の「クアラルンプール」より安かった。
売り子のね〜ちゃん達が群がって来た。
客は6人、売り子も6人、マン・ツー・マンの布陣である。
 「何でも5個買ったら1個サービスね〜」
「シェリー」さん、俄然張り切ってる。
客から感謝されつつ、土産物屋に連れて行く・・・。
スルーガイドの鑑だんべな。

  • 「マンゴプリン」

 今回、「マンゴプリン」だけは買うと決めてた。
”ちょっと下見しとこうかね・・・。”
「マンゴプリン」は3種類あった。
 「どう違うの?」
「みんな同じね」
「んな訳ゃあないだろ?見るからにメーカーが違うじゃんか」
「どれも同じね」
ちょっとムッとした。
 「試食品はないの?」
一種類だけあるという。
一番安い「蒟蒻畑」みたいな包装のヤツだった。
喰ってみた。
紛れもないコンニャクだった。
「まじいっ!」
「ダメだ、こんなの!ヒトにあげられないよ」
 残り2種類はちゃんとしたプリンの風情だった。
「こっちの試食品はないの?」
無いという・・・。
冷蔵ケースを見ると、バラ売り品があった。
1個RM2.5(約80円)だという。
おあつらえ向きに冷えてるじゃあ〜りませんか!
 「カネ払うから、これ1つ喰わしてよ」
さすがにイヤとは言えない。
バラ売りのを出して来た。
良く見たら、2種類あるじゃあ〜りませんか!
ムダとは思いつつ、訊いてみた。
「どう違うの?」
「どっちも同じね」
”てんめえ〜っ!”
「1個ずつ、両方買うっ!」

  • 気はココロ

 喰ってみると、やっぱ全然違う。
片っぽはゼリーみたいな食感だった。
唯一、トロリとしたイメージに近い食感のヤツがあった。
6個入り1パック、RM15(約500円)だという。
それにしても安いなあ・・・。
 「5パック、買うよ」
「3パックしか無いね」
ったく・・・。
しかも冷蔵ケースで冷えてたヤツである。
 3パックをレジに持って行った。
すかさず「シェリー」さんがいう。
「5個買えば、1個サービスになるよ」
「5個くれって言ったんだけど、3個しか無いんだって!」
「お〜、それじゃまけさせるよ!」
 なかなか義侠心に厚いと見える。
「○×△■、§♀☆◎!!!」
何言ってんか全然わかんないけど、交渉成立。
「RM40(約1,330円)でいいよ」
ま、気はココロである。
最終的にいい気分で店を出た。
スルーガイドの鑑だべさ・・・。

  • 昼メシ

 「シェリー」さんに訊かれた。
「お昼は、辛い『広東料理』と、『キシメン』とどっちがいい?」
どっちでも対応出来るという。
昨晩は、かなり辛い中華料理喰ったからなあ・・・。
嫁さんの顔には「キシメン」っと書いてある。
 「キシメンは辛くないの?」
「辛くないね。でも辛く出来るね」
「じゃ、キシメンにする」
「じゃあ、みんな一緒でいいね」
4人衆も「キシメン」をオーダーしてあったそうだ。
 4人衆は名古屋人だった。
だから「キシメン」って訳じゃなかろうけど・・・。
豊田市に住んでて、「セントレア」から来たという。
想像した通りの家族構成だった。
お約束で、マスオさんは「トヲタ」に勤めてる。
多分、じ〜ちゃんも娘も同じだんべ。
 我々は神奈川県から来たと話した。
じ〜ちゃんは考え込んでた。
「神奈川県っちゃ、どこらへんだったっけなあ・・・?」
名古屋人にとって、京浜地区は”アウト・オブ・眼中”らしい・・・。
なかなか気さくで面白い家族だった。

  • メニュー

 やっぱ、まずはビールである。
「タイガー・ナマ」をオーダー。
ここんちも、RM17(約570円)だった。
日本と変わらんなあ・・・。
っとか思いつつも、実はこれは安い方なんである。
っと、自分に言い聞かせる。
 このクソ暑さである。
「っかあ〜っ!ちっくしょ〜っ!!!」
一気飲みして、お代わりしたいっくらいだった。
でも、午後の観光を考えて我慢・・・。
 「ニョニャ料理」は結構イケた。
「キシメン」は白湯ベースの皿うどん仕立てだった。
魚介類や野菜がたっぷりでまずまず・・・。
もちろん麺はとろけるような柔らかさ。
置いとくと、自動的にどんどん量が増える・・・。
 副菜に「空芯菜炒め」「豚肉唐揚げ」「豆腐魚醤煮」が出て来た。
全体にアブラ虫なのと、香りが強め。
ってゆ〜かあ、我々の好みがさっぱり系だからねえ・・・。
空芯菜炒め」は結構イケた。
ほとんど、これをつまみにビールを飲んでた。
 「骨つきブタ」と「魚醤豆腐」は名古屋人に譲った。
特に「魚醤豆腐」はご丁寧にパクチーがトッピングされてた。
みんな大した食欲で、ほぼ完食だった。
名古屋パワーに感心した・・・。
う〜ん、でも☆は1つ半かな・・・。

  • 「ハーモニー・ストリート」

 午後の観光開始である。
午後はチャイナタウンを徒歩で周る。
100年前の家並みがそのまま残っている。
骨董品店や飲食店が並ぶ。
狭い道路をクルマがブンブン通る。
猥雑って言葉がピッタリ来る。
 「トゥカン・エマス通り」ってとこに出た。
ここは別名「ハーモニー・ストリート」と呼ばれるとか。
マレーシア最古の仏教寺院がある。
最古の儒教の寺院もある。
最古のヒンドゥー教の寺院もある。
最古のモスクもある。
最古の教会もあるってな具合である。
 仏教寺院の読経が聞こえる。
そのアタマの上を、モスクからアザーンが流れる。
きっと日曜日はこれに賛美歌が加わるんだべ。
まさに「ハーモニー」だべさ。

  • 「青風亭(チェン・フー・ティン)」

まず行ったのは仏教寺院。
1646年の開基。
明の鄭和(テイワ)の「マラッカ」寄港を称えて建立されたとか。
建材は全て中国から運ばれたそうだ。
今でもその当時の建材・法具類がそのまま残る。
 これは、ポルトガル人やオランダ人も同じだったらしい。
みんな母国から建材を運び込んで建造したそうだ。
キリスト教会の天井の梁なんか、30mの丸太だった。
南国は、あんまりいい建材が取れないのかな・・・。
 面白いモンを発見。
信者が奉納するのは「アブラ」だった。
アブラに芯を浮かべて灯明にする。
みんな、「パームヤシ」の油を持って来て祭壇に並べる。
1斗缶まで置いてあった。
 観光の間も、中華風が何人も礼拝に来ていた。
仏教寺院とは言え、日本とちょっと違う。
位牌が沢山並んでいたけど、みんな写真付きだった。
その写真をカバーで隠したのもある。
「これは、まだ生きてるヒトね・・・」
ふう〜〜ん・・・。

  • 再開

 日本人観光客が入って来た。
おばはんの2人連れだった。
女性のガイドに説明を受けてる。
”ひょっとして・・・”
近づいて行くと、やっぱ昨日のおばはんペアだった。
ガイドは「SAM」さんである。
 「あ〜〜っ!又会いましたね〜」
「せっかくだから、記念写真でも・・・」
女性4人にカメラを向けた。
「あっ!あたしゃ抜けるからさ・・・」
又もや”ツッコミ”が訳のわからん行動をとる。
仕方無い。
”ボケ”と、「SAM」さんと、嫁さんでカシャッ!
 住所を聞こうかと思ったけど止めた。
後で送ってやってもいいと思ったけど、何だか煩わしい。
そういうノリじゃない・・・。
揺るぎない個性である。

  • 「ババ・ニョニャ・ヘリテージ」

 ここで一発当てた中華風の豪邸。
マレー生まれの華人「ババ・ニョニャ」の博物館。
なんだけど「シェリー」さんは言う。
「フリータイムで入ってもいいけどオススメしないね」
曰く、中は当時の家具・調度品があるだけ。
入場料、RM8(約270円)はもったいないという。
 この辺りには、こう言う造りの家が沢山ある。
骨董品を売る店も沢山ある。
そこで同じような家具・調度品が見られるという。
 ま、別にどうって事ない金額だけど逆らう理由もない。
「シェリー」さんの言う通りにした。
クソ暑い中、てくてくと歩いた。

  • 「マラッカ・ハウス」

 後から見たらガイドブックにも載ってた。
有名なアンティークショップらしい。
確かに品揃えも豊富だった。
ン十万円もするテーブルなんかも並んでた。
 店の間口は3間っくらいのモンである。
ところが、奥行きの深いこと、深いこと・・・。
20畳っくらいの部屋が縦に8つっくらい並んでるみたいな・・・。
その間に、中庭があり、池があり・・・。
何とも面白い造りである。
 ン十万円は別としても、いろいろ面白い小物もあった。
お馴染みの品もチラホラ・・・。
昔っから狙っていた鳴りモノである。
いつも諦めてる・・・。
「バンブーの風鈴」「カエルの声が出る置物」・・・。
大した値段じゃない。
”買っちゃおうかな・・・。”
嫁さんから”買うなオ〜ラ”が飛んでくる・・・。
”どこへ置くんじゃあ〜〜っ!”
はいはい・・・。