珍しくも無い本の雑感42(4)

 【やってみなはれ みとくんなはれ】

  • 寿屋

 知らんかった。
開高健」も「山口瞳」も「寿屋」の社員だった。
今の「ザントリー」である。
しかも、そこに勤めていた事に誇りを持ってるようだ。
とにかくすごい職場だったらしい。
 「開高健」は西モンだから本社採用。
山口瞳」は「開高健」が暗躍しての現地採用だったそうだ。
この現地ってのが東京である。
「寿屋」にとっては敵地市場に殴り込んだ訳だ。
山口瞳」も当初は言葉で苦労したと書いてた。
 そりゃ、そーだべなあ・・・。
とっても日本語とは思えない。
韓国語と混ぜて話しても違和感ないかも・・・。
どっちも声でかいし・・・。

  • 熱気

 知らんかった。
ホンキで本音でやれる会社があったらしい。
ヒトとヒトがホンキでぶつかり合ってる職場があったらしい。
熱く、真剣で、楽しく苦しめる職場。
当世には極めて希薄になっちゃった何かがあったらしい。
 後書きを書いてる自称「元窓際OL」も言ってる。
「学生気分では会社は勤まらんぞ!」
って一般的には言われる。
でも、ここんちは学生のコンパよりすごかったそうな。
そりゃ昔の会社ってえのは大なり小なり・・・。
 でも、ここんちは今でも似たようなモンらしい。
99年に「創業100周年記念」のパーティがあったそうだ。
全世界から5千人が大阪城ホールに集合。
大宴会だったらしい。
会場に向かう道中ですでにベロベロ。
ほとんど学生の文化祭状態だったとか・・・。
そうさせる何かがこの会社にはあるんだべな・・・。
山口瞳」はこれを「青雲の志」って名づけた。

  • ビール

 「信治郎」は自分を社長とは呼ばせなかったらしい。
「大将」だそうだ。
なるへ・・・。
確かにイメージが合ってる。
「大将」は昭和36年、「佐治敬三」に社長を譲った。
次男「敬三」は訳あって母方に養子縁組していたらしい。
「信治郎」82歳、孫太郎と戯れる日々になった。
そして翌昭和37年他界した。
 1年後、「寿屋」は「ザントリー」に改名。
同時にビール事業に踏み出す。
日本のビール業界は誰もが知る硬直化した寡占状態。
そこにあえて殴りこんだ。
佐治敬三」の心は・・・?
 孟子いわく、
「外患なければすなわち国亡ぶ」
毛沢東いわく、
「しじゅう開けたてする扉のチョウツガイは錆びない」
 「佐治敬三」は不退転の決意だそうだ。
ビールが成功したら株式上場しようと言ってるとか・・・。
単にカネの為に上場してなかった訳じゃなかったんだ・・・。

  • コピー

 ホンットに知らなかった。
宣伝部に「直木賞作家」と「芥川賞作家」を擁した会社。
滅多にあるモンじゃないべな。
しかも、その作家が今まで通り働いてた。
優秀な宣伝を沢山作った。
 今から思えば「ああ、あれか」っと思う。
開高健」の傑作。

「人間」らしく
やりたいナ

トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ

「人間」なんだからナ

 「山口瞳」の傑作。

「トリスを/飲んで/HAWAIIへ/行こう」

 「鳥井信治郎」の「やってみなはれ!」精神が生んだ傑作だったんだべ・・・。