珍しくも無い本の雑感40(3)

   【輝ける闇】

  • 年賀状

 サイゴン日本大使館に小包が届いた。
東京の新聞社からだ。
書物やマラリヤのクスリなどと一緒に年賀状が入っていた。
「妻が入れてくれたのだろう・・・」
えっ?
妻?
いたんだ・・・。
 著者は昭和6年生まれ。
昭和一ケタ生まれはまだ、明治・大正の名残があるんだべか?
家庭の匂いがまったくしない。
やりたい放題である。
まったく妻帯者とは思ってなかった。
唯一、この年賀状の場面で存在がわかった。
 奥方はこの本を読んだんだべか?
そう言う意味ではトンでもないオヤジである。
ベトナム人女性を半ば囲ってたみたいなモンである。
この本の至るところに出て来る。
こういう男性に黙って連れ添う女性もいるんだ・・・。
現代では考えられないべな・・・。

 当時のベトナムには存在した。
著者は記者仲間と見に行ったそうだ。
まだ夜も明けきらない時間だった。
広場には大勢の野次馬が集まっていた。
10代の青年が死刑柱にくくられ、憲兵隊に銃殺された。
 さすがに著者も震撼させられた。
指がふるえ、膝がふるえ、汗と悪寒に侵された。
嘔気でむかむかしていた。
その後、記者仲間と食事をした。
赤ワインを飲み、シャトオブリアンを注文した。
著者は異常に良く飲み、良く喰ったようである。
 最近、会社でサウジアラビアに出張したヒトの話を聞いた。
サウジはまだ公開処刑が現役らしい。
処刑が新聞に公示される。
現地では大変な人気なんだそうだ。
当日は、大渋滞で街中が機能しなくなるとか・・・。
らしい、と言えばらしい・・・。
これもニンゲンの性だべか?

  • 終戦直後

 戦争が終わった時、著者は14歳。
実家のじ〜じ・ば〜ばとほぼ同級生である。
日本中が焼け野原だった。
どこの街も見わたす限りの荒地だった。
凄惨な夕陽が地平線にゆっくりと沈んでゆくのが見られたそうだ。
 生き残ったヒトビトは掘立小屋を建て、闇市を作った。
昼夜問わず闘い、機関銃が乱射される市もあったとか・・・。
大鍋で肉や米が煮られ、米軍払い下げの残飯シチューをすすった。
市場というよりは野営地だったそうだ。
 特に著者はいつも餓えていたらしい。
学校で昼食時間になるとそっと教室を抜け出した。
水を飲んで腹を膨らませてから教室に戻ったとか・・・。
 戦闘機の機銃掃射も受けた事がある。
たまたま当たらなかっただけだった。
そんな思春期を過ごした著者はフツーに暮らせなかった。
何かが背中を押したらしい。

  • 自己解体

 「解説」によると、やっぱこんな作家は稀有らしい。
「戦争は文学のもう1人の生みの父親」
「解説」を書いている「秋山駿」の言葉である。
でも、日本の文学で戦争という主題を正面から描いた作品は少ないとか。
この作品と、「大岡昇平」の「野火」っくらいと言う。
 当時、著者は「青い月曜日」という長編に着手していた。
これは自伝小説のような作品だったそうだ。
でも、この連載が始まってすぐにベトナムに飛んでしまった。
ふんぎったんだべな。
伝統的な文学の在り様とは手を切った。
 「秋山駿」は断言する。
この作品を書かなかったら著者は遠の昔に死んでいただろう。
「青い月曜日」で著者は自己完了する事も出来た。
でもそれをしなかった。
完了しつつある自己を徹底的に解体した。
そして新たな自己自身を産んだと言う。
確かにこれがこの作家らしさを確立したのかも知れない。
いやあ〜、すげえ本だった。