珍しくもない本の雑感30

  • エアポケット

 学生の頃って1人の作家にはまり易い。
夏目漱石」と「三島由紀夫」には見事にはまった。
大半の作品は読んだつもりだった。
後から発刊された本は別としても・・・。
でも、チョー有名な本で穴があった。
そこだけエアポケットだった。
我ながらびっくりした。
何と「猫」を読んでなかった。
 あまりにも有名。
誰もが読んで当ったり前みたいな存在である。
でも、何故か読んでなかった。
いつでも読めると思って後回しにしたんだべか?
よくわかんない。
ま、いっか。
早速、近所の「Rボン館」に行って買ってきた。

  • 奇譚

 読んで又、びっくりした。
何じゃ、この本は?
珍談・奇譚のオンパレード。
うろ覚えだけど子ども用に薦められてなかったっけ?
小学生の推薦図書とかになってなかったっけ?
気のせいかな・・・?
 これは子どもには無理だんべ。
この小難しい文章。
ご親切に83にも及ぶ「注解」が付いてる。
でも、わかんない言葉が多くって辞書と首ったけだった。
子どもには相当な根気が要るべ。
 テンポもぜんぜん違う。
何とも言えない間のとり方だし・・・。
こんなスピード時代の子どもには耐えられないべ。
偉大なる作家の偉大なる作品だった。
いやあ〜、驚いた。

  • 解説

 解説を「伊藤整」が書いてる。
さすが豪華である。
「猫」は構成的に筋の発展が弱い。
小説としてははかばかしく進行しないで横道に向かう。
珍談・奇譚・小事件が並んでいる。
 これは偶然ではないそうだ。
漱石が留学したイギリスにこう言う技法の作家がいたそうな。
伊藤整」いわく、そこに新しさがある。
漱石が新しい技法を試したってことだべか?
多分、その頃の読者だってそんな事知らなかったべな。
100年も昔である。
多分、理解できなかったべな。
 でも、作品は売れた。
読者は斬新な技法に飛びついた。
今からすれば古典だけど、わかる気がする。

  • 苦沙弥(くしゃみ)先生

 吾輩の居候してる家の主人は苦沙弥先生である。
偏屈で、狭量で、胃弱で融通が利かなくって始末が悪い。
モデルは漱石そのものらしい。
描かれてる像はまったく可愛げもヘチマもない。
吾輩も小バカにしてる。
 奥さんとの夫婦仲もまったく上手くいかない。
これもどうも私生活そのまんまらしい。
どう見ても圧倒的に主人が悪い。
端っから勝ち目がない。
 3人の子どもに対しては多少愛情は感じられる。
が、ほとんど構わない。
育児にもタッチする気はない。
遠目に眺めてるだけである。
これが象徴的な明治オトコの姿か・・・。

  • 「トチメンボー」

 何故か、この言葉は聞き覚えがあった。
何故だんべ?
「トチメンボー」・・・。
何だかわかんない。
ハッタリ屋が洒落た洋食レストランで注文する。
 ボイ(ボーイやね)が答える。
あいにく今日は材料を切らせていて料理出来ない。
そりゃ、残念だとか何とか・・・。
訳のわかんないやり取りが続く。
ナニモノなのかわかんなくってもう一度読んだ。
やっぱわかんなかった。

  • 達観

 実は吾輩も漱石自身である。
世の中を斜めに見る漱石の目線である。
えりゃあ斜に構えた「猫」だ。
憧れの「則天去私」
「天に則り、私を去る」の境地になりたかったんだべ。
 この本の最後は又、ちょっとびっくり。
吾輩は達観してる。
すごい「猫」である。

日月(ジツゲツ)を切り落とし、天地を粉韲(フンセイ)して不可思議の太平に入(イ)る。

恐るべし・・・。