珍しくもない本の雑感27(8)
【昭和史 1926-1945】
- コンタクト
昨日、生まれて初めての経験をした。
一生の内、一回ぐらいはいいかと思ってチャレンジ。
コンタクトレンズっちゅうモンをつけてみた。
手取り足取りつけ方、外し方を教わった。
確かに世界が違って見える。
フレームが無い矯正視力の世界・・・。
「スポーツする時にはめっちゃ楽ですよ〜」
なるへ・・・。
一度やってみたいことの1つにスキューバダイビングがある。
こいつをやろうと思ったらコンタクトは必須だべ。
いっぺん経験しとくのもいかんべ。
昨日はいつものメガネ屋に度を直したメガネを取りに行った。
こないだの健診でガチャ眼を指摘されてた。
9月には運転免許の更新もしなきゃなんない。
しぶしぶ度を直すことにした。
店主も商売上手である。
「今、無料でお試し出来るんですけど如何ですか?」
むりょ〜ってすぐ反応しちゃうんだよね〜。
- 駆け引き
やっぱ商売は駆け引きだんべね。
がむしゃらに押すばっかりじゃ絶対に売れない。
一旦引くくらいのゆとりが無いと最初っから駆け引きになんない。
昭和20年(194年)5月にドイツが降伏。
日本もいよいよ苦しくなって遂に天皇が心労で倒れた。
やっと終戦の為の御前会議に漕ぎつけた。
それにしても呆れるほど人材がいなかったんだべなあ・・・。
この期に及んでソ連に戦争終結の仲介を頼んだ。
よりによってである・・・。
はなっから駆け引きになってないべや。
7月27日に「ポツダム宣言」が日本に届いた。
天皇はホッとして「受諾するしかないべ」と言ったそうな。
ところが政府はこれを黙殺。
「まだソ連からの返事が来てないべや」
新聞は「笑止!対日降伏条件」「聖戦を完遂」とやった。
「聖戦」ねえ・・・。
確かに爆弾抱えて突っ込んでた。
あちゃら系のヒトビトと何も変わらなかったんだなあ・・・。
救い難い・・・。
- 「ポツダム宣言」
既に7月24日に原爆投下の命令も出ていた。
でも、結果論だけど防ぐ事は出来たかも・・・。
「ポツダム宣言」を受諾していれば落ちなかったかも・・・。
ま、アフターフェスティバルだけど・・・。
アテにならないソ連の返事を待って何十万人を殺したことになる。
そして広島、長崎と原爆が落とされた。
これは大量虐殺以外のナニモノでもないべな。
でも、それが戦争だ。
8月9日の原爆投下を聞いてソ連がいごいた。
スターリンに言わせると「ヤルタ会談」での約束を履行した。
9日深夜、満州に一斉攻撃を仕掛けた。
宣戦布告を日本領事館に通知した1時間後だったとか・・・。
しかも領事館の電話線はしっかり切られてたらしい。
「満州の悲劇」の始まりだった。
ここでも日本はダサかった。
8月14日にやっと「ポツダム宣言」受諾を通知した。
翌15日に「玉音放送」があった。
でも、これはあくまでも内向きな話。
外に向かってやらなきゃならん事が山ほどあった。
くたびれ果ててたんだべなあ・・・。
安心しきっちゃった。
「アメリカにごめんって言ったんだからソ連だってわかるべや」
世間知らずの哀しさ・・・。
- 「満州の悲劇」
ソ連は「正式な降伏文書調印までは依然攻撃態勢を継続」した。
「日ソ1週間戦争」って言うらしい。
もはや戦争じゃないべや・・・。
憐れな無抵抗の日本軍と一般人は大量虐殺とシベリア送り。
戦死8万人、57万人が捕虜になったとか・・・。
引き揚げてきたのが47万人で10万人が凍土の下・・・。
確か小学生の頃だった。
「流れる星は生きている」ってえ本を読んだ。
この時の衝撃は今でも忘れらんない・・・。
悲惨としか言いようがない。
それは60年経った今でも続いてる。
でも、そんな事知らないヒトが大半の世の中になっちゃった。
どんどん薄れて、消えて無くなっちゃうんだべね・・・。
- 仲介人
最初っからアテにする方がどうかしてるとは思うけど・・・。
戦争終結の仲介を依頼した相手は俄然ハッスルした。
スターリンは8月16日、トルーマンに親展極秘文書を送ったそうだ。
・・・もしロシア軍が日本本土のいずれかの部分に占領地域をもたないならば、ロシアの世論は大いに憤慨することでしょう。私の、この控えめな希望が反対を受けることのないよう、私は切にのぞんでいます。
吹いちゃった。
このヒトの神経はワイヤーか何かで出来てんじゃない?
厚顔無恥というか、何と言うか・・・。
こっちが恥ずかしくなっちゃう。
でも、ロシアもそれほど評価してないんじゃない?
名前を残そうとはしてないべ。
諸説があるからうざいって思ったかな?
「レニングラード」は「サンクトペテルブルグ」に変えた。
「スターリングラード」は「ボルゴグラード」って名前に戻した。
正解やね。
- 「ソ連参戦」
最近、MHKでこの「ソ連参戦」を特集した。
嫁さんも見ていて、やっぱ感じ入るモノがあったらしい。
普段、温厚な嫁さんが憤ってる。
「こんな、ひどいことあり?」
「あり?ったって、現実にあったんだべや」
「こんなの、中国や韓国と同じじゃない。日本だって被害者じゃん」
「ま、ソ連に対してはそう言えるべな」
「中国・韓国みたいに反ソ運動やデモが起きてもおかしくないじゃん」
「構造はおんなじだべな」
「何で、日本人ってそんなに大人しくしてられるのかな?」
「単に知らないだけだべさ。実際、知らんかったべや?」
「何でそういう教育しないんだろう?」
「後ろめたいからだべ。臭いモノにはフタ・・・」
現実的に考えれば知らない方がいいかも・・・。
偏った情報だけ知ってトッポいのがトラブル起こすのがオチ。
偏った憎しみだけ植え付けてもしょーもない。
もっとも今の若い衆に知ろうとする気持も無いべな・・・。
これだけ幸せいっぱいな毎日を送って・・・。
60年前の戦争のことなんかど〜でもい〜じゃん。
そんな話、暗〜い、うざ〜いって言われるのがオチである。
- 310万
この不毛な戦争で死んだヒトは310万人だったそうだ。
沖縄では戦死11万人、市民の死亡10万人。
本土空襲の死者は30万人、灰になった家屋236万戸。
満州事変以降の日中戦争での死者は41万人。
「志願」という名の命令による特攻での死者は4,615人。
これが20年間の昭和史の結論だった。
この本はオススメだと思う。
ホントなら今の若い衆は絶対に読んだ方がいい。
教科書にしてもいいんじゃないかと思うくらいである。
何か、CDも発売されたみたいだし・・・。
ま、興味はないかも知んないけど・・・。
「過ちは繰り返しません・・・」
絶対にウソである。
所詮は人間のやることだべさ・・・。
懲りないに決まってる。
机上で歴史を知ったからってそう簡単に活かせるとは思わない。
でも、知らないよか知ってる方がましだべなあ・・・。
今を生きる世代が何も卑屈になる必要はないと思う。
でも、カラスの勝手で好きなように生きりゃいいってのも違うべ。
とりあえず周りが見えるようにはなりたいじゃん。
特に海外旅行志向のキリギリス夫婦は知っとくべきだべさ。
いい歳して恥かきたくないもんね〜。