珍しくもない本の雑感27(7)

 【昭和史 1926-1945】

 暦の上には秋が立った。
え゜〜〜〜っ!
冗談だろっつ〜くらいの暑さだ。
家の中にいても頭がぼ〜っとしてくる。
ま、いつものこったけど・・・。
 今日はお坊ちゃまの調子が悪い。
暑過ぎる所為だべか?
朝、「アガリクス」と「スルノコシカケ」を飲ませた。
次いで抗生物質、水も多めに飲ませた。
暫くするといきなりゲボした。
最初はラグの上で、次はマッサージ器の上・・・。
あ〜あ、又「アガリクス」が・・・。
サルノコシカケ」が・・・。
 ま、それはいいとしても大丈夫かな・・・?
放っとくとほとんど何にも飲まず喰わずみたいな・・・。
ここ半月くらいで明らかに痩せた。
痩せてますます元気なので困っちゃうんだよなあ・・・。
夜になって缶詰の強制給餌を再開。
「ドクターF沢」もあんまり痩せてると不安だべ・・・。
でも、格闘である。

 ってなこって「昭和史」のクライマックスへ・・・。
昭和14年(1939年)9月、第二次大戦が勃発。
翌15年(1940年)5月には戦闘が本格化して大戦争になっちゃった。
最初はドイツがえりゃあ強かった。
ヨーロッパ各国は次々と降伏させられちゃった。
次はイギリスに渡って大暴れというところまで攻めた。
 その頃、日本は軍国主義国家まっしぐら。
「敵性言語」「ぜいたくは敵だ」「生めよ殖やせよ」・・・。
国民は来るべき対米英戦争に備えて耐乏生活。
そんなタコツボ日本から世界情勢は見える訳ゃないわね。
勝手に夢を描いてたらしい。
このへんが例の空中楼閣なんだべね。
 もうすぐドイツがイギリスを攻め落としてくれる。
そしたら「日独伊ソ4国同盟」も悪くないな・・・。
「鬼畜米英」にも対抗できるぜ。
な〜んて考えも出て来たらしい。

 遂に最後の防波堤の海軍が崩れた。
著者は「カネの為に魂を売った」と表現している。
売国奴ってヤツですか?
要するに「大和」「武蔵」を作るカネが欲しかった。
この予算獲得を条件にOKしちゃった。
 こうして昭和15年(1940年)「日独伊3国同盟」締結。
米英との戦争の決意表明みたいなモンである。
更にこの後、ソ連と「日ソ中立条約」に調印する。
夢はますます広がってく。
ドイっちゃん、頑張ってね〜みたいな・・・。
 ところがその頃、ドイツは大苦戦。
チャーチル率いるイギリスにコテンパンにやられちゃった。
バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれる本土決戦だった。
 ヒトラーはとっととイギリスを諦めた。
そしてソ連を攻める準備を進めていた。
独ソ不可侵条約」なんてハナッから守る気はなかった。
日本はいいツラの皮。
「日独伊ソ4国同盟」が笑わせる・・・。
バカにされたモンである。

 「3国同盟」の次は「仏印ベトナム)進駐」
昭和15年(1940年)資源確保の為に南へ足をのばす。
これでもう決定的になった。
世界中に日本のやる気マンマンな姿勢を示した。
御前会議が開かれ、もう天皇の歯止めが利く状態じゃ無くなった。
 新聞には「ABCD包囲陣」なんて言葉が踊り出した。
「米英討つべし」の声も上がり始めた。
国民の心の中にも好戦的風潮が生まれていたらしい。
多分、先行き不安な閉塞感だったんだべな・・・。
もう、どうにでもなれみたいな・・・。
 アメリカは全ての暗号を解読して宣戦布告を待ってた。
ニイタカヤマノボレ 1208」はしっかり知られてた。
いろんなやりとりがあったらしいけどやっぱ日本はダサかった。
ものの見事に挑発に乗せられた。
 昭和16年(1941年)12月、真珠湾攻撃
「太平洋戦争」の始まりだった。
この時、外務省の怠慢で宣戦布告通知が1時間遅れた。
結果的に歴史上の汚点、「だまし討ち」になっちゃった。
以来「リメンバー・パールハーバー
 「真珠湾攻撃」は山本五十六の作戦だった。
ホンネは戦争を早くやめるための攻撃作戦だったらしい。
山本五十六が言ったそうだ。

桶狭間とひよどり越えと川中島を併せ行うのやむを得ざる・・・」

まともに組み合えば勝ち目が無いってわかってた。
それなら早く仕掛けて講和に持ち込もう・・・。
その内、ドイツが勝って講和ばなしが出て来るべ。
こういうハラだったらしい。
い〜かげんである。

  • 逆転

 最初は凱旋ムードだったらしい。
真珠湾攻撃は大成功だった。
英東洋艦隊にも勝っちゃた。
シンガポール・フィリピン・インドネシアと攻めて行った。
「大東亜新秩序」建設に続いて、インド・中近東にも行くぞ!
そしてドイツと握手だ!・・・みたいな・・・。
おめでたかったんだ。
 昭和17年(1942年)6月に「ミッドウェー開戦」でボロ負け。
こっから形成逆転ってゆ〜かあ〜、フツーになった。
敗戦に次ぐ敗戦。
撤退に次ぐ撤退なんだけど一切報じられない。
例の「大本営発表」である。
よく聞く「ガダルカナル」「ラバウル」「トラック」「サイパン」・・・。
どれもこれも悲劇の舞台だったそうだ。

  • 落日

 昭和18年(1943年)「山本五十六戦死」「アッツ島玉砕」
2つの象徴的な事件がしぶしぶ国民に知らされた。
翌年「インパール作戦」というやらんでもいい作戦を強行。
この期に及んでインドを攻めた。
雨季のインパール街道は死体の山だったとか・・・。
この作戦の首謀者は河辺・牟田口コンビ。
「櫨溝橋事件」の当事者だとか・・・。
やっぱ「ミツゴノタマシイ」やね。
 昭和19年(1944年)7月に「サイパン島玉砕」
これで日本本土がB29の爆撃圏内に入っちゃった。
もう、先は見えてる。
でも、日本は徹底的に悪あがきした。
「志願」という名の命令による「特攻」が始まった。
もはや1点の明るさもなかったと書いてあった・・・。

 昭和20年(1945年)の大日本帝国は末の世だった。
「配給」「闇市」「憲兵隊」「翼賛壮年団」・・・。
元旦、零時5分に東京に空襲警報が鳴り響いた。
以来、常に空襲の恐怖に脅えてたそうだ。
「日本の家屋は木と紙だ。焼夷弾で十分だ」と豪語してたとか・・・。
 2月に「ヤルタ会談」が行われた。
ドイツが降伏間近なので、その戦後処理が主テーマだった。
次に日本をどう降伏させるか?
米国のルーズベルトソ連スターリンに対日参戦を要求した。
アメリカも智恵が足らんかったねえ・・・。
ソ連は参戦を約束した。
「そのかわり日本に取られた領土は返してもらう」
日ソ中立条約」なんて知ったこっちゃないってか・・・。
又もや日本はいいツラの皮である。
 「硫黄島玉砕」「沖縄壊滅」と悲惨な戦い・・・じゃないな。
悲惨な虐殺が続いて、残るは「本土決戦」
日本の瀕死の状態を見てソ連がいごいた。
5月に「日ソ中立条約」廃棄を通告して来た。
ホントはこの条約は廃棄通告後も1年間有効の規程がついてた。
でも、ホントもヘチマもないべな・・・。
何でもあり。
それが戦争なんだべな・・・。
続きは又・・・。