珍しくもない本の雑感27(6)

 【昭和史 1926-1945】

  • ビアガーデン

 何年振りだんべ?
テニスの仲間とビアガーデンに行った。
しかもちゃんとした正統派屋上ビアガーデンである。
JR駅ビル「Lスカ」の屋上である。
 ビアガーデンと言えば、枝豆・ポテトフライみたいな・・・。
ところが今日は違った。
正統派イタメシにビール他何でも飲み放題。
「オードブル盛り合わせ」「シーザーサラダ」「ミックスピザ」
ペンネアラビアータ」「ナスのグラタン」「白身魚のグリル」
「スペアリブ」・・・。
えりゃあ豪華だった。
 イタメシは5階のレストランから届けてくれる。
但し、前日までに予約した客のみである。
グルメの「M橋さん」が前もって予約をしてくれた。
周りの客はみんな怪訝そうな顔で見ている。
何であいつらだけ喰いモンが違うんだ・・・みたいな。
ちょっと優越感。
 屋上は涼しかった。
地上はムンムンしてるのに爽やかで汗もかかなかった。
こんなに違うんだ、と再発見。
やっぱ、高層マンションが涼しくっていいか・・・?
料理は美味かったし、ビールも美味かった。
チカラいっぱい飲んで喰って4,200円。
何て幸せなんだ・・・。

  • 「2.26事件」

 突然、「昭和史」に戻る。
70年前にはこんな暮らし振り、想像出来なかったべな・・・。
昭和11年(1936年)「2.26事件」が起きた。
要するに軍の派閥争いと謀略と無智の産物だあね。
青臭いナショナリズムを煽られた反乱軍はいいツラの皮。
自分達は天皇の諒解を得た「官軍」だと信じ込んでた。
最後は有名なビラが登場。

下士官兵に告ぐ】

    1. 今からでも遅くないから原隊へ帰れ
    2. 抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する
    3. お前たちの父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ

って、そりゃあないべって思ったべなあ・・・。
 事件によって岡田内閣は総辞職。
広田内閣が発足した。
これがまたとんでもナイカクだったそうだ。

    1. 現役軍人じゃないと陸・海軍大臣になれない制度導入。
    2. ドイツのヒトラーと「防共協定」を結び、後の「日独伊三国同盟」の基礎に。
    3. 軍令部と相談して「北守南進政策」を決め、英米とガチンコ。
    4. 「不穏文書取締法」ってのを作って言論弾圧を強化。

次々と軍部独走の道を開いたらしい。
ろくな政治家がいなかったんだあね。

 中国とはず〜っと戦争状態みたいなモンだった・・・。
でも、この当時は宣戦布告してないので「支那事変」と言った。
何で戦争を仕掛けておいて宣戦布告しないか?
びびってた。
米英を刺激したくなかった。
いろんな物資を輸入してたから・・・。
 太平洋戦争に突入して初めて宣戦布告をした。
んで、これ以降は「日中戦争」というんだそうだ。
輸入物資が途切れるのを覚悟でよくやったよなあ・・・。
度胸がよかったのか、何も考えてなかったのか・・・。
 「支那事変」の発端は昭和12年(1937年)の「盧溝橋事件
これもどうも陸軍の謀略らしい。
原因は両国軍の演習中にニアミスがあったとか・・・。
理由は何でも良かったんだべなあ。
とにかく戦争したかったんだ。
軍隊なんてそんなモンだべ。
 まずは上海を中心に激戦となった。
仕掛けた割には意外に日本は苦戦したらしい。
実はこの頃、中国の内戦は収束に向かっていた。
蒋介石」「張学良」「毛沢東」「周恩来」らが統一戦線を組んだ。
中国が1本の矢になる画期的な出来事だった。
対日抗戦の歴史の転換点だったけど、日本はシカトした。
基本的に中国を蔑視してた。
舐めてたんだべね・・・。

 日本は慌てて内地から大軍を送り込んだ。
ようやく形勢逆転。
支那軍は当時の首都「南京」に撤退した。
日本軍はそれを一気に攻め落とそうってんで進撃したらしい。
これが有名な「南京虐殺」だった。
 事件は東京裁判でも取上げられたし、今でも諸説がある。
中国は30万人が虐殺されたと言う。
日本では今でも事件は捏造だというヒトまでいる。
それもどうかと思うけどね・・・。
真実は神のみぞ知る。
だけどちゃんと公平と思われる記録もあったらしい。

    1. 通常の戦闘による中国軍将兵の戦死者・・・約30,000人
    2. 中国軍捕虜などへの撃滅・処断による死者・・・約16、000人
    3. 一般市民の死者・・・約15,760人

 当時、南京市民は30万人もいなかったとか言うヒトもいる。
でも数がどうとか、ヘチマとかはどうでもいい。
間違いなく虐殺はあった。
裁判もなしに捕虜を大量に処刑したのは紛れも無い事実だった。
その事だけが重要だべ。
著者も日本人の1人として心からお詫びをしたいと書いていた。

 「南京」が陥落しても戦争はぜんぜん終わらない。
むしろ泥沼化して行く。
昭和13年(1938年)には「国家総動員法」が成立。
当時の近衛内閣が「東亜新秩序声名」を出した。
ヒトラーが「欧州新秩序」を叫び出したのに合わせたとか・・・。
何とも刺激的である。
歴史的に意義ある戦争だと主張したそうだ。
これで米英はマジギレ状態に・・・。
 昭和14年(1939年)に「ノモンハン事件」が起きた。
これも有名な戦いとしてよく聞く。
ねじまき鳥クロニクル」にすさまじい場面が出て来た。
強烈に印象に残っている。
村上春樹は実際にノモンハンに行って来たそうだ。
やっぱ何か強く感じるものがあったらしい。
 実際、悲惨な戦いだったらしい。
関東軍満州軍対極東ソ連軍+蒙古軍の境界線争いだった。
日本側の死傷者は2万人弱。
内、7,720人は戦死。
ソ連+蒙古側も2万5千人が死傷。
 この戦いのすごいところは武器の違いだそうだ。
日本側は「銃剣、肉体、必勝の信念と旺盛なる攻撃精神」
ソ連側は「戦車、重砲、飛行機、機械化された各機関、潤沢な補充」
 事件後、カタチばかりの軍の反省会があったらしい。
教訓は「ますます精神力を鍛える必要がある」
それと「火力戦の能力も向上させた方がいい」だったそうな・・・。
やっぱ終わってた・・・。

  • 「3国同盟」

 この年の始め、ヒトラーから「3国同盟」の誘いが来た。
マスゴミが後押しして国内は一気に親独・反英ムードになったらしい。
それでも日本にも常識人はいた。
「米内(ヨナイ)光政」「山本五十六」「井上成美
有名な海軍トリオだった。
トリオはガンとして反対したそうだ。
「米英と戦争するつもりか?」
ま、フツーだわね。
 すったもんだしてる間にアメリカがいごいた。
「日米通商航海条約」を破棄して来た。
はっきり敵意を表わした訳やね。
ドイツもいごいた。
こそこそスターリンと「独ソ不可侵条約」を結んだ。
ヒトラーは既にチェコスロバキアを攻め、次のポーランドを狙ってた。
ポーランドを取ったら半分やる」約束だったそうだ。
 日本はショックだった。
あいた口が塞がんなかったそうだ。
ドイツは日本に言った。
「日本が半年も「3国同盟」の返事をくれないから悪いんだべさ」
「ぶくぶくぶく・・・」
続きは又・・・。