珍しくもない本の雑感27(3)

 【昭和史 1926-1945】

  • 根底

 昭和史の根底には満州があるそうだ。
「ここ〜は〜おく〜にいの何びゃ〜く里〜♪」
の歌にも出て来る「赤い夕日の満州」だ。
資源を持たない日本には魅力だったんだべなあ・・・。
それがいつしか必要不可欠になっちゃった。
 いつの間のか自分ちのモンだと思い込むようになった。
どこであろうがヒトんちに土足で上がり込みゃモメるに決まってる。
当ったり前である。
ましてヒトをヒトと思わぬ狼藉の限りを尽くした。
どんな仕返しされてもしゃ〜あんめ。
 ホントは帝政ロシアだって同罪かも・・・。
帝政ロシア不凍港を求めて南下した。
北上する日本とガチンコ。
1904〜5年の日露戦争だ。
盗っ人同士のケンカだから、ま、同罪だんべな。
でも、ヨソんちことなんかどうでもいい。
この時、負けてりゃぜんぜん歴史は変わっていたべな・・・。

  • 派兵

 宝くじを当てたヒトは意外に幸せになれないとか・・・。
特に中途半端に100万円とか当てると余計に始末が悪いらしい。
日本もたまたまロシアに勝っちゃったのが不幸だった。
ロシア全体を征服してたら歴史も変わってただろうけど・・・。
 中途半端だった。
満州の鉄道守備の為に軍隊駐屯権を得てしまった。
遂に外国に軍隊を出した。
はじめは1万人くらいだった軍隊はどんどん膨れた。
最後は70万人の「関東軍」がはびこってたそうだ。
こうして満州経営を始める過程で朝鮮にも手を伸ばした。
この話はちょっと前に「韓国併合」で読んだ。
著者は李氏の不甲斐無さみたいなことにも触れてた。
退廃した李氏朝鮮を1910年に併合しちゃった。
国が混乱してるのをいいことに・・・。
得意ワザ、火事場泥棒だ。

  • 火事場泥棒

 大正3年(1914年)に第一次世界大戦が勃発。
日本は今がチャンスと暴れ始めた。
ヨーロッパ列強がドイツに手をとられてるスキを狙った。
これもほとんど火事場泥棒。
大正元年(1912年)には清朝が滅びて中華民国が誕生していた。
生まれて間もない中国政府に無理難題を突きつけたらしい。
 「対華21ヶ条の要求」というそうだ。
これをチカラづくで認めさせた。
満州のいろんな権益を認めさせる21ヶ条だった。
当然、中国から猛烈に恨みを買った。
中国歴史上はじまって以来の屈辱として抗議運動が起った。
北京の学生運動を日本が弾圧する事件も起きた。
これが「五・四運動」というんだそうだ。
こないだ北京で反日デモ騒ぎのネタになっていたアレである。
なあるへ・・・。

  • 移民

 更に移民政策もとられた。
「20年間100万戸移住計画」
昭和11年(1936年)広田内閣が打ち出した政策だ。
実際には100万は無理だった。
が、口減らしやワケ有りの移住は4〜50万人に達したらしい。
農家の次男三男坊や日本で食い詰めてひと旗あげたいヒトビト。
日本で弾圧されたコミュニスト社会主義者などなど・・・。
 この移民の先は未開のジャングルじゃない。
「赤い夕日の満州」である。
満州には元々の満州人と開拓に来た蒙古人や朝鮮人がいた。
このジモティがせっせと土地を開拓したのである。
日本人がいきなり海を渡っても何も出来ゃしないわよ。
そりゃ、ジモティの土地を奪うっきゃないべ。
乱暴狼藉の限りを尽くしたらしい。
そんなこんなで中国人・朝鮮人にとって日本人は恨み骨髄。
当ったり前だあね。
皮肉にも中国はこの恨みをバネにどんどん強い国になっていったそうだ。

 興味深い話も載ってた。
あの芥川龍之介が大正10年(1921年)に中国を旅行した。
新聞社の特派員としてルポを書いたそうだ。
風景・人情・史蹟・食の旅だったらしい。
でも、どこに行っても反日運動が眼に触れたようだ。
 中学生が「日本よ出ていけ」と反日の歌を歌っている。
寺の壁には排日の落書きが沢山あった。
かなり激しい内容だったらしい。

「恨みをもった民は日本人を殺し尽くしてこそ初めて休むことが出来る」

みたいな・・・。
 学校参観にも行ったそうだ。
学生は日本製の鉛筆を排除して墨をすっている。
寄宿舎も拝見したいと言ったらガンと断られた。
つい最近日本兵が闖入して強姦事件を起こしたばかりだったとか・・・。
 これが現実だった。
歪曲とか自虐的とかヘチマとかじゃないんだよなあ・・・。
事実は事実として知っておくべきだべなあ・・・。
続きは又・・・。