新聞投書からの雑感Ⅴ

  • 10年

もう10年も経ってしまった。
阪神・淡路大震災は10年前の今日だった。
あの時は札幌に居た。
最初は情報が全く入って来なくって被害の規模が分からなかった。
だんだんトンでも無い事になっている事が分かって来た。
慌てて神戸に住んでいた知り合いに電話を入れた。
全くつながらなかった。
やっと連絡が取れたのは1週間後だった。
とりあえず身体が無事なのが分かってホッとした。
後から聞いた体験談はすさまじかった。
知り合いはマンション住まいだったので倒壊は免れた。
でもテレビや金庫が宙を舞っていたそうだ。
たまたま娘さんが孫を連れて遊びに来ていた。
飛んで来た金庫は寝ていた孫の直ぐ横に落ちたそうだ。
何だか考えただけでもゾッとする。
家族全員が無事だった事が奇跡だと思うとしみじみ言っていた。
あれから10年。
記憶が鮮明に蘇って来た。

  • 特集報道

最近は震災のその後を特集した報道が多い。
考えてみればNHKの朝ドラ「わかば」も震災10年に合わせてたんだ。
偶然かどうか知らないが、随分芸の細かい事で・・・。
テレビも新聞もいろんな題材を探し回ったんだと思う。
概して見事にストーリーになってる。
周りに助けられて今は幸せに暮らしてますとか。
あの日を境に医者になる決心を固めた若者の話とか・・・。
反面、マイナーなネタも随分多い。
しかもこっちの方は探すのにあんまり苦労しなかった様な印象だ。
災害復興住宅に入った後老人の孤独死が絶えない、とか。
死ぬ気で家を建て直した直後に区画整理で追い出された、とか。
住民の総意が得られずマンションを改修出来ないまま10年借家暮らし、とか。
ケミカルシューズや清酒などの地場産業は復活出来ないまま、とか。
良い方向に転換出来たヒトの方が圧倒的に少ないイメージだ。
少なからず憤りを覚える。

  • DNA

日本人は危機管理のDNAが欠けていると言う評論家がいるそうだ。
元々、災害に対して無防備と言うか自然体と言うか・・・。
何かの記事で災害に対する日本人と欧米人との感覚の違いが載っていた。
違いの典型は三宅島浅間山とイタリアのポンペイだそうだ。
日本人はどんなひどい災害にあっても又元の住まい戻りたい。
欧米人的には一度災害にあった土地は何の未練も無く捨てるそうだ。
ふう〜〜〜ん。
防災に関するアンケートを取ってみると如実に表れているそうだ。
日本人は災害に従順と言うか、「あきらめ」が先立っている。
天災はどうしようも無いよと言う「無力感」が漂う。
言われてみればその通りかも・・・。
ウチも一応非難袋とか用意はしているが、気休めだと思っている。
いつも明日突然死んでもおかしか無いと思ってる。
それがそのヒトの寿命だ、と言う感覚が強い。
宗教的なモンとは違うと思うが「無常観」みたいなモノがあるなあ・・・。
やっぱし「新人類」の所為かな・・・。

  • 海外報道

10年前の震災は海外にもあっという間に報道された。
インターネットが進んだ国では日本より報道が早かったと聞いた。
あっという間に海外のレスキュー隊が到着した。
国内の方が情報が遅くて受け入れ体制が間に合わなかった覚えがある。
当時、海外に居たヒトは情報力の差を思い知らされた様だ。
聞いた話。
米国在住の日本人が米国の友人から言われたそうな。
「今日、ニッポンのどっかの島で大きな地震があったらしいよ」
「へえ〜。どこの島だろう?」
「何でもホンシュウとか言う名前の島らしいよ・・・」
「えっ!・・・」

  • 復興支援

新聞を開くと災害ネタばっかしだが新潟も大変そうだ。
仮設住宅で年を越して雪下ろしに追われている。
又、今年は意地悪く凄い豪雪だ。
被害者はまだ立ち直りも道半ばで雪に埋もれている。
何だかなあ〜。
どうも納得出来ないなあ〜。
阪神中越も災害復興支援は全然終わって無いじゃんか。
みんな普通に働いて頑張って来た小市民じゃないの?
世捨てビトじゃ無いんだから。
税金だってちゃんと払っているニッポンの国民じゃんか。
国民だったらせめて衣・食・住は最低限保障されるべきじゃないの?
狭量と言われるかも知れないけど、海外支援より先にやる事があるだろ?
国内に憂いを無くしてから好きなだけエーカッコすれば良いじゃん。
ばら撒くカネには被害者の税金も含まれているだろうに・・・。
災害に対する無力感もさる事ながら国に対する諦めはもっとひどい。
何て従順な国民なんだろう・・・。
為政者に国民を守る意識が希薄過ぎる気がする。