珍しく無くなった本の雑感Ⅹ

  • 朝読み

会社にも幾つか本が積んである。
持って歩くのが難儀な本は大体会社にある。
ハードカバーは携行には極めて不便で自然に溜まって来る。
いつも会社までは40分の徒歩通勤。
この間で完全に身体もアタマも眼を醒ます。
会社に到着してから始業時間まで大体3〜40分。
この貴重な時間がハードカバーの読書タイム。
でも週に5日、毎日読める訳でも無い。
東京の本社に行ったり、地方の事業所に出張したり・・・。
又、分かってないヤツが仕事の報告に来たりする。
「私は人一倍早く仕事に取り掛かっています」とでも言いたげ。
こう言う報告に限って緊急性はまず無い。
たまに急ぎの仕事が入ってしまう事もある。
ホントに少しずつ少しずつしか読めない。

  • 大作

今年の初夏の頃から大作に取り掛かった。
「上巻」「中巻」「下巻」と3冊だ。
そして今日、今年の最終日に読み終わった。
実に半年がかりだった。
本のタイトルは「平家」作者は「池宮彰一郎
1923年生まれと言うから80歳を越えている。
何と静岡県沼津市で育ったそうだ。
何だ、同郷人じゃん。
歳は30歳以上違うけど・・・。
自分にとっては大作だった。
もともと脚本家で時代劇などを多く手掛けているらしい。
年齢から考えても自然だが古典的な文体だ。
すらすらっとは読めない。
引っ掛かり、後戻りし、系図を確認し、地図を見る。
漢字の読み方が分からなくなる。
確か前にルビが振ってあったなあ・・・と後戻りして確認する。
特に人名は難儀だった。
1日数ページずつ、遅々として進めない。

  • 感動

題材は良くある源平合戦だ。
でも半年掛けて読んだ価値は十分あった。
めっちゃ面白かった。
純ちゃんじゃ無いが、感動した。
後白河法皇平清盛の訃報を聞いて号泣する場面があった。
法王が頼朝の眼を盗んで寂光院を訪れ清盛の供養をする場面もあった。
思わずじんと来る様な良い場面だった。
その場面を表現している日本語が秀逸なんだと思う。
こんなにぴったりの日本語があったんだ、と何度も感心した。
この本での平清盛は空前絶後の超大人物だった。
源頼朝はしょーも無い下らない人物だった。
後白河法皇は怪物だった、と言う事になる。
この本を書く為の資料は膨大だっただろうと思う。
8〜900年も昔の話だ。
いろんな説があって当然だし、それぞれの解釈があって良いんだろう。
でもよっぽどいろんな資料を研究しなきゃ自説が持てない。
作家と言うのもなかなか大変な仕事だと思った。

  • 引き出し

作者が結構なご年輩である事とやっぱ時代劇だからだと思う。
読んでいて何度も引っ掛かる文章にぶつかった。
勉強不足を痛感しながらも惹かれた。
小市民的には決して読み易くは無いんだけど・・・。
こう言う日本語って頑張って継承しなきゃ勿体無い気がする。
ちょっと引き出しに入れて仕舞って置きたくなった部分を拾ってみる。

    1. 現今の大衆伝達機関のあり方に通ずる当時の官僚は、口に改革必須を唱えながら実行者が着手した途端、展望皆無とか実効不明を言い立てて冷罵を浴びせ、悲観的に冷笑して自己の具眼・達観を誇るが、その心根は極めて貧しい。
    2. 武士たる本分は常在戦場である。
    3. 雀、百まで踊りを忘れず。人は生まれついての性根は捨てかねるもの。
    4. 言わねば分からぬ様な奴は言うても分からぬもの。
    5. 機密は虚偽であっても検証不可能ならば機密たり得る。
    6. 人が傍目の美しさを心掛ければ人の世は美しくなる。
    7. 今日1日を何の苦も無く送る。明日も同じ様に過ごせるだろう。明後日も、1年先も、10年先も・・・そう言う保証のあることを感ずる日が人の仕合せというものかも知れない。

他にもなかなかしみじみする表現が沢山あった。
「知名を過ぎた身」「恭謙な立居振舞」「眉目秀麗」などなど・・・。
多分、絶滅危惧種だとは思うけど。
「因循偏頗」なんて、もう図鑑でしか見られないだろう。
この本そのものが既に古典扱いかも知れない・・・。
でも結構得した気がする3冊だった。