珍しく本の雑感Ⅳ

うろ覚えだが、このヒトこの街に住んでるのかな。
所得番付の発表で管轄税務署がたしかこの街だった様な・・・。
今や押しも押されぬ売れっ子。
ノルウェイの森」ではまった。
羊をめぐる冒険」で又はまった。
ねじまき鳥クロニクル」でドはまった。
何だ、このヒトは?と思わせる。
昭和24年生まれ。
微妙な年齢だが立派な現代人だ。
この感性は何なんだ?と思う。

文化庁長官。
京大名誉教授、心理療法家。
日本のユング派心理学の第一人者。
あちこちの講演、テレビ出演で引っ張りだこ。
昭和3年生まれ。
昭和一ケタ。
波乱万丈、180度変わった日本を見て来た。
我々の親の世代でもある。
独自の視点から日本人の精神構造を考察し続けているとか。
このヒトの存在を知ったのはそんなに昔では無い。
なんかのキッカケで本を読んだ。
宗教についての対談本だった。
おもろかった。

と言うタイトルの本を読んだ。
9年も昔に行われた対談を5年前に編集したらしい。
親子ほども歳が離れている。
2人とも傍目には違う世界のヒトに見える。
会話して噛み合うんだろうか?
ま、大きなお世話なのである。
やはり亀の甲より年の功。
見事なやり取りだった。
なかなかおもろかった。
多分、河合隼雄は万人と会話出来る。
考えてみれば日々、精神的に病んだヒトに接してる。
息子ほど歳の離れた小説家くらいお手のモノなのかな。

  • 小説家のスタイル

この本で村上春樹と言うヒトが見えて来た。
ふうう〜〜ん、と思う事が随分あった。
この世代の早大文学部卒。
小説を書く為に身体を鍛える。
暇さえあれば翻訳に精を出す。
しょっちゅう日本を離れる。
村上龍は非常に鋭い感性を持った作家だと思っている」とか。
ホントかね?
同じ「村上」でもこの2人は対極にいると思っていた。
でも「彼と僕とは社会へのアプローチが違う」とか言ってる。
やっぱし・・・。
作品に接しているだけでは分からない部分が垣間見えた。

対談はあまりにも多岐にわたって結論めいた事は無い。
「だから何だ?」と言えば言えなくも無い。
が、個人的に印象に残ったセンテンスが幾つかあった。

    1. 小説を書き始めた時に、先行する小説家のスタイルの中に、真似したいというものが無かった。で、まず第一に、これまでのいわゆる作家スタイルとはまったく逆のことをしてみようと思った。朝早く起きて、夜早く寝て、運動をして体力もつくる。文壇には関わらない。注文を受けて小説を書かない。そうしたら、自分としてはけっこううまくいった。
    2. 僕はもう以前ほど反抗的ではない。ひとつには僕が自分のスタイルというものをそれなりに強く確立したから。もうひとつには反抗しようにも反抗すべきものがもうそこにほとんど残っていないからだと思う。日本の文壇の空気もずいぶん変わった。無意味な業界的掟がどんどん消えていって、システムとしての風通しが前よりは良くなってきた。もっとも「ベタベタした人間関係」だけはいつの時代になっても変わらないようだが、これはあきらめるしか仕方がないだろう。
    3. 結婚生活と言うのはお互いの欠落を埋めあうためのものじゃ無いかというふうにぼんやりと考えていたが、最近になって、ちょっと違うのかなと考える様になった。それはむしろお互いの欠落を暴きたてる過程の連続に過ぎなかったのではないかと。自分の欠落を埋める事が出来るのは自分自身でしかない。他人がやってくれるものでもない。欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分自身できっちりと認識するしかない。結婚生活と言うのは煎じ詰めて行けば、その様な冷厳な相互マッピングの作業に過ぎなかったのではあるまいかと、このごろふと思う様になった。

才能があったのか、強運を引き寄せたのか・・・。
なかなか有り得ないヒトだろうな。

村上春樹は前書きで「天才的な聞き上手」と言っている。
確かに一見、聞き手に回っている様だが全然違う。
終始、河合氏の視点で会話が成立してるみたいな気がする。
なるほど、と思う事ばかり。
本はウロコだらけ。
究極のセンテンス。

    1. 人間はいろいろに病んでいるわけですが、その一番根本にあるのは人間は死ぬということですよ。おそらく、ほかの動物は知らないと思うのだけれど、人間だけは自分が死ぬという事をすごく早くから知ってて、自分が死ぬという事を、自分の人生観の中に取り入れて生きて行かなければいけない。それは、ある意味では病んでいるのですね。そういう事を忘れている人は、あたかも病んでいないかのごとくに生きているのだけれども、本当をいうと、それはずっと課題な訳でしょう。
    2. 現代というか、近代は、死ぬ事をなるべく考えないで生きる事にもの凄く集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。その中で死について考えるというのは大変だったのですが、このごろ科学・技術の発展に乗っていても人間はそう幸福になるわけではない事が実感されて来ました。そうなると、死について急に語られるようになって来ましたね。
    3. 日本は今、なかなか大変なところに来ている、今までは欧米文化の上澄みを上手にすくって取り入れていたが、とうとう根っこのところでぶつからねばならぬときが来ている、と思われる。このような認識の点ではわれわれは共通していると思う。

いやあ〜。
腑に落ちる。