メディアの雑感

  • パロティング

最近良く耳にする言葉。
パロットはオウムの事だとか。
オウムの様に意味も無く真似る事をパロティングと言うんだそうだ。
つまりメディアの論調が、何時の間にか自分の意見みたいな気になってしまう事。
特定のメディアに洗脳された集団が世論を形成するみたいな・・・。
NHKだけ見てる人と、筑紫さんだけ見てる人で夫々グルーピングが出来たりする。
逆に言うとメディアが世論を作る事が出来る訳だ。
このパロティングに警鐘を鳴らす論調を良く見かける様になった。
我が意を得たり、では無いがずっと気になっていた。
みんなメディアの言う事を真に受け過ぎんじゃ無いの?と。
これも一種のパロティングかな?

  • へそ曲がり

かなり前だが入社間もない頃、会社に変わったエライさんが居た。
我々下々には何を考えているか分からない。
ある会合で演説をぶった。
「新聞や雑誌の記事を真に受ける様なヤツはウチの会社にいらん!」と来た。
小市民はびっくりした。
当時、新聞はある種、神聖なモノだった。
天声人語なんて受験のネタにさえなっていた。
ゼミの入試もほとんどが新聞ネタを扱っていた様に思う。
じゃ何を信じれば良いのか、と思ったくらいだ。
その時は、このオッサン相当のへそ曲がりだなあとか思っていた。

  • 人間のやる事

でも今にして思えば、所詮は人間のやっている事である。
人間のやる事に完璧など有り得ない。
ましてこの時代だ。
人間の質は科学技術の発展に反比例して着実に落ちていると思う。
日本人は更なり。
自分が日本人として生きたのは、たかだか50年余り。
この短い期間の中で、こうまで日本人の質が落ちるとは思わなかった。
最近のメディアは明らかに恣意的だと思う。
売らんが為、が見え見えである。
でっち上げ、ヤラセは当たり前。
視聴率が全てだと言う。
何かの記事で、ニュースはCNNしか見ないと言う御仁の意見を読んだ。
理由はキャスターが余計なコメントをしないからだそうだ。
一番、事実だけを客観的に報道している様に見えるからと言う事だらしい。
納得。
小市民も社説は絶対に読まない。
昔は素直な子だったのに・・・。
大人にはなりたく無いモノである。
全ての報道を穿った眼で見ている可哀相な小市民になってしまった。

報道の自由を盾に、ペンの暴力が横行する時代になった。
小市民の感覚では理解出来ない。
メディアなら何を書いても良いのか?
コメントを取るためには、何をしても構わないのか?
身内を亡くした遺族にマイクを突きつけ、平然と「今のお気持ちは?」。
ヒトゴトながら殺してやりたくなる。
お前、少しは脳みそ付いて無いのか?と思う。
何かがおかしい。
明日はわが身、くわばらくわばら・・・。

  • 長崎少女殺人事件

無残な事件だった。
最近はこのくらいの事件は日常茶飯事でもある。
でも小市民にとっては最近稀に見る印象に残る事件だった。
印象に残ったのは殺された少女の父親である。
父親はマスコミ人だった。
被害者は更にメディアの被害者になる事を身を持って体験していた。
無神経な質問の嵐に曝される父親は痛々しかった。
が、言わばマスコミ人にマスコミ陣が群がって喰いものにする構図だ。
共喰いの様な象徴的な絵だった。
いい加減に何か気づけよ!