続・【タイムドーム明石】のこと
- 企画展
面白かった。
関連資料もいっぴゃあ貰って来た。
”「銀座」が駿府から今の銀座に遷置されたのが慶長17年(1612年)。遷置400年をきっかけとして区内の遺跡で出土したお金を一堂に会しました。”
なるほど・・・。
ついつい引き込まれちった。
話は江戸時代に遡る。
今の「日銀」んとこに「金座」があった。
んで、「銀座」は今の2丁目辺りに置かれたらしい。
遺跡はやっぱその辺り。
日本橋・京橋・八丁堀に集中。
「ひゃあ、ご近所じゃんか。やっぱ『日銀貨幣博物館』も行かにゃあと・・・」
展示もなかなかだった。
さすがにヤマブキがざくざくって訳じゃにゃあ。
もっと地味。
「寛永通宝」とかが中心。
たまたま埋まってたんじゃにゃあ。
墓とか便所に埋めたモンだと書いてあった。
「ひゃあ、そいで金隠しっつーだかね・・・?」
- 貨幣制度
ま、違あとは思う。
いろいろ勉強んなった。
江戸時代の貨幣制度は「三貨制度」と言うそうな。
- 金貨:単位(両・分・朱) 小判や一分金(いちぶきん)
- 銀貨:単位(貫・匁・分) 丁銀(ちょうぎん)や豆板銀(まめいたぎん)
- 銭貨:単位(貫・文) 寛永通宝(かんえいつうほう)など・・・
それぞれ単位が違あ。
これがすぎゃあ。
一応は幕府がレートを決めた。
「金1両」=「銀60匁」=「銭4貫」
でもみゃーんち相場がいごく。
公定レートはほとんど守られなかったらしい。
幕末の頃にゃあ「金1両」=「銭10貫」だったとか・・・。
ピンと来にゃあ。
「寛永通宝」は1文銭とか4文銭とか・・・。
これが庶民の通貨だったんだべ。
銭湯が8文、蕎麦が16文だったとか・・・。
銭貨1貫って1,000文になる。
っつーこんは1両って10,000文!
「ひゃあ、『千両箱』ってどーいたシロモノだかね・・・?」