もうちょっと・湯島界隈のこと
頃は元禄、徳川のぉ〜お。
1690年(元禄3年)の創建だそうな。
徳川五代将軍「綱吉」公の手による。
儒教の振興が目的だった。
「上野忍岡」から林家塾と廟殿をここに移設。
「忍岡」ってぇのは今の「上野恩賜公園」んとこらしい。
「ひゃあ、300年以上昔っから『孔子廟』があったんだー」
これが【湯島聖堂】の始まり。
その100年後にいごきがあった。
1797年(寛政9年)。
ここに幕府が直轄学校を開設した。
かの有名な【昌平坂学問所(昌平校)】。
「学問所」はその後75年存続したそうな。
明治維新後に又いごきが・・・。
新政府は「大学校」に改称。
更にその後、1871年に廃校しちった。
代わりに「文部省」が置かれる事になったとか・・・。
「ひゃあ、こん時から間違ゃあが始まってるだかね・・・」
- 彫像
翌1872年。
聖堂内に「東京師範学校」が出来た。
後の「国立博物館」も出来た。
んで、1874年には「東京女子師範学校」が。
「ひゃあ、結構【湯島聖堂】ん中ってわいわいしてたんじゃー」
でも、後々みんな出ちった。
「文部省」は霞ヶ関へ。
「国立博物館」は上野に行っちった。
「東京師範学校」、「東京女子師範学校」は文京区に。
名前も「東京教育大」、「お茶の水女子大」に変わった。
更に「教育大」はつくばへ行っちった。
「ひゃあ、そいで『筑波大学』になったんだー」
ちょうど【湯島聖堂】内で展示会をやってた。
「筑波大学」彫像展
んなるほど・・・。
後からわかった。
何故、この場所で「筑波大学」・・・。
「ひゃあ、作品も面白えけんど、会場の由縁が面白えじゃにゃあか!」
感服。