珍しくも無い本の雑感42(3)

 【やってみなはれ みとくんなはれ】

  • 独身

 「鳥井信治郎」は昭和8年に妻を亡くしたそうだ。
「寿屋」がどん底の頃だった。
子どもは3人いた。
長男「吉太郎」、次男「敬三」、三男「道夫」
妻「クニ」は「吉太郎」をおんぶして瓶詰を手伝っていた。
 その「吉太郎」も昭和15年に33歳で急死。
当時、副社長だったそうだ。
同じ年に兄の「喜蔵」も亡くなった。
「信治郎」は1人でやっていかなければならない・・・と思ったそうだ。
その時、すでに還暦を過ぎていた。
 以来、毎日おなご廻りの日々らしい。
でも、決して外泊しなかったそうだ。
夜中の2時3時でも帰ってくる。
嫁の未亡人「春子」の話。
「お父はんは、家いうもんは、門と玄関があったらええと思うてはりました」

 「寿屋」の給料は決して高くなかったらしい。
但し、女子社員の給料は良かったそうだ。
「信治郎」はいつも言っていた。
「おなごはダンナで運命決まりよる。そやから可哀相なもんや」
とにかく女性に優しかったらしい。
今で言えばフェミニスト・・・。
「男は仕事で自分の運命切り開いて行ける。おなごはそれがでけん・・・」
ぎくっ・・・。
 男の給料はず〜っと据え置き。
女子社員の給料はどんどん上がってゆく。
あっという間にベテラン男性社員も追い越されえてしまうとか・・・。
おなごには辞められまへんなあ。
今だったら、お局様ばっかりになっちゃうかも・・・。

  • 賞与

 賞与を渡す時にも必ず声をかけたらしい。
「賞与をもろうて、コーヒー飲んだらあかんで」
「タバコ買うんだったら株を買え」
「無駄遣いしたらあかんで。服装(しょうぞく)に金かけや」
「飯をあまり食べたらあかんで。栄養のあるもんを食べや」
「あんまりぎょうさんうんこしなや」
何か、眼に浮かぶなあ・・・。
 丁稚にも小遣いを惜しまなかったらしい。
何かあれば50銭を渡す。
「これあげるけど、使いなや」
当時の丁稚も嬉しかったけど、使いなやには参ったらしい。

  • 番頭

 この会社にはすごいヒトがいっぱいいた。
全幅の信頼をおける番頭さん達である。
今風に言えば人材の宝庫だった。
求心力なんだべね。
ヒトが「鳥井信治郎」に惹き寄せられたんだべな。
「ヒトはカネのみに生きるに非ず」の典型みたいな・・・。
 幾つも例が載っていた。
「作田耕三」っという大番頭。
何故、彼はザントリーと一生を共にする気になったか?
「作田」が入社後間もなく父親が亡くなったそうだ。
「作田」は誰にも知らせなかった。
隠密裡に葬式をあげようと考えていた。
 ところが葬儀場に行ってひっくり返ったそうだ。
「寿屋」の全社員がいた。
副社長の「吉太郎」が雑用や力仕事をしてた。
「信治郎」は受付で会葬者に挨拶してた。
「作田」は目が点になった。
 葬儀が終わると「信治郎」がタクシーを呼んできた。
そのまま助手席から降りなかったらしい。
とうとう「作田」の母親を乗せて自宅まで送って行った。
「作田」は心底から涙が出たそうだ。
・・・だべな・・・。
続きは又・・・。