珍しくも無い本の雑感42

  • コテコテ

 又、タイトルから入ってしまった。
「やってみなはれ みとくんなはれ」
うわあ〜っ!
濃そうっ!
関西の芸人の苦労話か何かかなっとか思っちゃうべや。
ぜんぜん違った・・・。
 著者は「山口瞳」と「開高健
共著って言うか、昭和44年にそれぞれが書いた。
ザントリーの社史に収録されたモンである。
後から合体して文庫本になった。
 「開高健」は1930年(昭和5年)大阪生まれ。
コテコテの西モンだ。
山口瞳」は1926年(昭和元年)。
こっちは東京生まれである。
ホントは全然違うキャラなんだろうけど・・・。
何とも言えない面白さだった。

  • 昭和ヒトケタ

 2人ともバリバリの昭和ヒトケタ。
実家のじ〜じやば〜ばなんかと同世代だ。
同じような時代を生き抜いたエネルギーを感じる。
開高健」はプラス西モン独特の脂っこさ。
 最近、たまたま2冊続けてこのヒトの作品を読んだ。
「地球はグラスのふちを回る」と「輝ける闇」
いやあ〜、めっちゃ濃かった。
そのキャラそのものである。
キャラが作品にも漂って、プンプン臭ってる。
 「山口瞳」の作品は初めて読んだ。
名前だけは良く見るけど何故か縁がなかった。
イメージだけなんだけど読後感はサラッとしてる。
そりゃ「開高健」と較べりゃ誰でもそうかも・・・?
きちんとしたわかりやすい日本語だった。
コテコテの西モンを見事に調理してた。
鳥井信治郎」の熱い生きざまを見事にあっさり仕立てにした。
すごいウデかも・・・。

  • 「明治のこころ」

 昭和ヒトケタの2人が描いたのは「明治のこころ」
ザントリーの創始者「鳥井信治郎」の伝記である。
”社史=伝記”っと言うのがすごい!
確かにこのヒトはハンパじゃなかったらしい。
 明治12年1月30日生まれ。
大阪市東区の両替商の末っ子だった。
20年4月に北大江小学校へ。
翌年、高等小学校に入学。
23年、北区梅田の大阪商業学校に進んだ。
25年、13歳で道修町の薬種問屋に奉公に出た。
何ともい〜かげんな時代だったんだべな。

  • 「陰徳」

 「鳥井信治郎」は幼少の頃に「陰徳」ってえのを教わる。
「イントク」・・・?
何じゃ、そりゃ?
「隠匿」ならわかるけど・・・。
 「陰徳」っとは、仏教の尊い教えだそうだ。
「陰徳」を積むことで、大きな「功徳」が頂ける・・・。
「ナンパ」ではない。
「クドク」である。
「善因善果悪因悪果」という教えらしい。
「善因」の中でも「陰徳」にまさる大きな「善果」はないとか・・・?
いい事を積み重ねていればきっと後でいい事がある。

「陰徳あれば陽報あり」

これが「信治郎」の得意な話だったそうな。
 信心深い母「こま」の教えだったという。
別に大阪だからって事ではなさそう・・・。
善行を積み立てて満期になったら幸せになれるみたいな・・・。
利子もつくんだべか?

  • 「三つ子の魂」

 「信治郎」はよく天満の天神さんに連れて行かれたそうだ。
まだ3〜4歳、明治14〜5年の頃である。
ここにたくさんの乞食が並んでいたそうな。
乞食は参詣の善男善女にモノを乞う。
 「信治郎」は面白半分に小遣い銭を投げ与えたそうだ。
彼らは喜んで、身振り手振りたっぷりに礼を言う。
それが面白くって、つい振り向いて見ちゃう。
すると母親が厳しく叱ったそうだ。
「振り向いてはいけません!」
 その頃は何故いけないのかわかんなかった。
後からわかったのは「礼をされてはいけない」という事だった。
「陰徳」に礼はいらない。
礼をされてしまったら積み立てがチャラになっちゃう。
ってえ事らしい。
なるへ・・・。
 「信治郎」の神社仏閣への寄進はハンパじゃなかったそうだ。
社会事業への寄付も、貧乏学生への支援もすごかったとか。
年末の献酒、餅配りも会社の大イベントだったらしい。
その喜捨はほとんど衝動的だったようだ。
会社の経理もまっつぁおになるほどだったとか。
「三つ子の魂」ってえこってすな・・・。
続きは又・・・。